津山城鬼門守護・大隅神社の神輿は天保13年(1842)に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財。御霊代を神輿に移す際、石段の長い移動が特徴。担ぎ手(輿丁)は江戸時代、白縞の装束だったが、現在は白一色の装束となっており、輿丁は赤組、白組の2組に分かれて肩を入れる。上之町の細い筋いっぱいに神輿が通り抜け入道坂へ向かう。
 詳細は不明だが寛永6年(1629)には神輿の巡幸が行われており、輿丁は江戸時代から昭和の中頃まで林田、志戸部の人たちが務めたが、現在は氏子全町から集めることになっている。昭和の後半から平成まで2年に一度、担ぐ年と台車に載せ神幸する年と隔年で交互に行われていた。
拝殿から神輿へ向かう御霊代=写真左上。右上の写真は階段を下る御霊代(宮司が御霊代を持ち、前後に大榊が付く)
 宮司は輿に向かい足早に進む。拝殿の外には“はな”(天狗の面と装束をつけた氏子)が4人ずつ左右に控えており、計8人が鉾でドンドンと地面を突き続ける。御霊代を輿に移すのは、出来るだけ素早い方が良いという。他の神社では通常、輿は拝殿のすぐ前に控えているが、大隅神社の場合、輿は石段の下で待っている。そのため、御霊代はかなりの距離を移動=写真左上=する特徴がある。
宮司により輿へと移される御霊代
林田宮川町の御旅所へ向かう大隅神社の行列。後ろは三枚橋=写真左上=と御旅所で神輿を迎えた林田宮川町の山車
大隅神社へと向かう大隅小路葉入り口の宵=写真左上=と本祭りの様子。大隅神社の氏子は江戸時代の面影を色濃く残す城東町並み保存地区(城下東部・林田六ケ町と上之町)となる
天保13年(1842)以来、初の大改修を行い巡幸した大隅神社神輿。平成22年(2010)の様子、後ろは大隅神社関係のだんじり11臺
大隅神社御幸行
 

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